南部パタゴニア 2
Southern Patagonia 2
二度目のパタゴニア
2018年12月14日~2019年1月2日
裏フィッツ・ロイ(ボローネ湖)
ポインセノット・キャンプ場に行く途中
ポインセノット・キャンプ場に行く途中
ロストーレス湖からのフィッツ・ロイ
夜明け前のフィッツ・ロイ
赤のフィッツ・ロイ
金のフィッツ・ロイ
カンパメント・アゴスティーニ・キャンプ場に行く途中
カンパメント・アゴスティーニ・キャンプ場に行く途中
カンパメント・アゴスティーニ・キャンプ場に行く途中
マエストリ展望台(グランデ氷河)
トーレス・デル・パイネ展望台(チリ、パタゴニア)
三本の石峰(デル・パイネ)
イタリアーノ・キャンプ場
フランセス・キャンプ場に行く途中
フランセス・キャンプ場に行く途中
フランセス・キャンプ場に行く途中
プンタアレナス(マゼラン海峡にて)
二度目のパタゴニア
Note
出発日:2018年12月14日(金)・帰着日:2019年1月8日(火)
2018年3月16日から3月27日、12日間のパタゴニア旅行(阪急交通社)から帰って、どうにもすっきりしなかった。
世界の名峰フィッツ・ロイはガスで見えなかった。パイネ山群がアルゼンチン、チリ両国にまたがりパタゴニア地域を形づくり、町々も大航海時代のスペインの面影を色濃く残し魅力的であった。
山を歩く者としては、トレッキングなしで撮った写真を掲載することに躊躇しはじめていた時、クマちゃんからのバックパックトライの誘いを受け二つ返事でお願いをする。
2018年12月14日(金)
出発。
家を11時30分に出て、伊丹空港の北ターミナル JAL前、12時30分の集合に遅れないように少し緊張して出る。
12時10分到着。30分からチェックイン。
もらったチケットにSSSS(入国時特別検査)マークがくっきり。変更を申し入れるも、冷たくあしらわれる。
アメリカ入国時に特別検査があるので焦る。セキュリティ・チェックを受ける時、スイス・アーミーナイフ(クマちゃんからのプレゼント)を手持ちのバックに入れていると没収されるよと指摘され、荷物検査場に飛んで行き、ザックに入れる。
成田でSSSSのチケットの変更を再度申し出ると、快く応じてくれる。
アメリカ、ダラスでは調べられるも、次の乗り換えアルゼンチン、ブエノスアイレスでは免れるとの事で幾分ほっとする。
ほっとするもつかの間、クマちゃんからフライト・レッスンが始まる。ボード表示を見て、搭乗口、フライト時間、通路掲示等、有難いがすごいプレッシャー。
機内座席は通路側で空間もあり快適。恐れていたダラスの入国チェックは特別検査もなくほっとする。
前回入国時は、韓国人が徹底的に取り締まり、クマちゃんも結構大変であった。言葉の通じない取り調べは心細い。
通過後、クマちゃんのゲストルームで4時間待ったのち、10時間フライトでアルゼンチン・ブエノスアイレスへ。
12月15日(土)
ブエノスアイレスのエセイサ国際空港。空港内は夏休みでヨーロッパ、南北アメリカからのお客であふれかえっている。
空港でブエノスアイレス市街にあるシェラトンホテル行のバスに乗る。
ホテルの東側に着く。
予約のホテルに行く途中で事件が起きる。
油掛け爺さん。親切そうな顔をして、洗っても匂いが取れない臭い油をバックやズボンにかけまくる。最初は気づいていなかったが、親切に「油をかけられてますよ」と、ティッシュを渡してくる。拭いている間に荷物を持ち去る泥棒らしい。無視して歩く。
外見は立派なホテル。チェックイン後、バスで市内観光に出かける。あと2泊できたなら、サッカー(マラドーナで有名なボカ・ジュニアーズ)と、アルゼンチン・タンゴダンスを写真に収めたかった。
夕食に出かけるも高そうな店ばかりなので、マクドナルドでハンバーガーとコーラ。これからもこれが続くと思うとむなしいので、レストランで生ビールを2杯飲み、やっと落ち着く。
ホテルはタオル、洗剤無し、お湯はかろうじて出る。一人2,000円くらい。「せめて3,000〜3,500円くらい出さないとゆっくりできないかな」とクマちゃんが言うが、僕はネパールでのロッジ、テント泊を経験しているので大満足である。エレベーターは日本ではお目にかかれない手動式で、なんかこわい。
12月16日(日)
ブエノスアイレス - タクシーでバス・ターミナル - エル・カラファテ - エル・チャルテン。
朝はホテル5時発。タクシーでホルヘ・ニューベリー空港。
ここでも夏休みが始まり、国内旅行者に世界中の旅人も加わり大混雑。オーバーブック15%はあたりまえで、クマちゃんのパーソナルがなければ、チェックインも出来ずフライトも出来なかったであろう。前回は大雨と雷で欠航便多数の中、我々の便だけが飛んだことがあった。
フライト3時間半でエル・カラファテに着く。
空港からエル・チャルテン行きの直通バスがなく、バス・ターミナルにタクシーで行く。タクシーは次のお客を確保するためか、飛ばしまくる。
バス停のレストランでスパゲッティを注文。これがまずい。
エル・チャルテン行きのバスは最前列の特等席。前回ガスで見えなかったフィッツ・ロイが、地平線に素晴らしい姿を見せる。隣はアメリカからの美人大学生で2カ月滞在するという。
途中、映画『明日に向かって撃て』の舞台の売店で休憩。フィッツ・ロイの地図とここでしか買えないワッペンを買う。
エル・チャルテンのバス停から宿まで、どこまで歩くんやというくらい遠い。
日本でいう国民宿舎のガイドセンター、ランチョ・グランデで宿舎の案内を受け、食事とワイン、ビールを注文。
スタッフのおじさんにフィッツ・ロイの話を聞いていると、ニコンのカメラ自慢になり地元の写真家の素晴らしい写真を見せられた。そこで僕の作品、ネパールの『神々しい世界』を見せたら態度が豹変した。来年もう一度来るから、その時ガイドをしてくれと頼む。
隣のホテルを紹介され、チェックインする。値段は4,000円くらいで良い部屋である。
町に買い物と散策(スーパーマーケット、薬局、お土産屋)。
ザックの整理(6日間の必要用具、食料)。後は預かってもらう。
12月17日(月)
エル・チャルテン - エル・ピラール レフヒオ(山小屋) ロス・トロンコス・キャンプ場。
朝食時、昼食用にサンドイッチ、リンゴ、オレンジをポケットに入れる。
8時予約の巡回バスでエレクトロリコ橋下車 - 徒歩3時間でロス・トロンコス・キャンプ場(520m)にチェックイン(テントで2泊)。
テント設営後、翌日の天気が悪そうなので予定を変更しクアドラード峠(1,830m)を目指す。
1,600mで時間オーバー。撮影し引き返す。
下山時、急下降。
3回もんどり打って、カラファテ(棘のある低木)に落ちる。棘が痛いので、慌てて立ち上がろうとするが、立ち上がり方が悪かったのかまた落ちる。棘の植物のクッションがなければ滑落である。その時に限ってクマちゃんが見ていて笑われる。
地元の3人娘は休み休みおしゃべりしながら、のんびり登ってくる。挨拶は「オーラ」。ザイル、靴2足、ピッケル、テント等の重量を担いだ下山するクライマー3人に追い抜かれる。とにかくここに来るような男女は体力がある。
夕食時、アイルランド人とノルウェー人の2人組と仲良くなり談笑。驚いたのはオートミールに砂糖をかけただけの夕食。外国人は食べ物にも無頓着。
約1,000m、2時間でよく登れたものだ。
12月18日(火)
ロス・トロンコス・キャンプ場 - ボローネ湖。
朝から小雨。キャンプ場を外れるとすごい風。2人とも踏ん張っているにもかかわらず吹っ飛ばれそうになる。立ち位置が悪いと滑落するぐらいのすごい風。僕は2度岩に叩きつけられる。
ボローネ湖でもカメラ操作中、湖水が風で煽られ頭から水をかぶる。とにかく荒涼とした風景と恐ろしい風。
テントに帰ってきて、ロッジに特別料理を注文するが、まずい。
とにかく、ここに来るような奴らは食べ物に無頓着。
12月19日(水)
レフヒオ・ロスからロス・トロンコス・キャンプ場。
朝食後チェックアウト。カンパメント・ポインセノット・キャンプ場(750m)を目指す。
途中でショートカットをするつもりが道があやふやなため、大事を取って、もと来たエレクトロリコ橋に戻りポインセノット・キャンプ場を目指す。予定を3時間オーバー。
道はなだらかな登りながら歩荷25kmはきつい。あと少しという所でダウン寸前。氷河撮影後、キャンプ場に着。直ちにテント設営。2時間半、クライマー専用のリオ・ブランコ・キャンプ場の横を通りロストーレス湖(1,500m)を目指す。
くたくたで歩いていると、チャーミングなアルゼンチン娘と彼がイチャイチャとキスしながら登っていく。ふとどきなアミーゴ・カップル。
やっとのことでロストーレス湖にたどり着く。昨年ガスで見られなかった世界の名峰フィッツ・ロイ。湖に写り込むフィッツ・ロイも素晴らしい。
下山時、バテバテなので休みながら行く、と、クマちゃんと別れて降りる。途中、水浴びをしているクマちゃんに声をかけるも、聞こえないらしくテントに向かう。
テント場で休んでいると、イチャイチャ・アミーゴ・カップルからクマちゃんが探しているよと言われ、あわてて元の道を返す。会ったらすごく怒り出す。声をかけろよ、遭難したらどうするんと、一晩中小言。
気が付いたのは、タンパク質不足。
12月20日(木)
ロス・トロンコス・キャンプ場からロストーレス湖(フィッツ・ロイ撮影)。
朝2時半起床。3時出発。足が動き1時間15分で上がる。
真っ暗の中、ロストーレス湖に着。陽が昇るまで寒い。
陽を待つ間、日本人4人に出会う。一人はエル・チャルテンを1時出発で5時着の大学生。彼と談笑しながら情報交換。兵役が終わって旅行しているイスラエル人が多いと聞く。彼は南極へ渡る基地の1つである世界南端の町、ウシュアイアに行くという。
そうこうしている内に、フィッツ・ロイがブルーに浮き上がってきた、次に薄く赤身をおびながら真っ赤、金色、銀色、絵葉書で見る景色…と移り変わる時系列を撮影。ネパールで、『神々しい世界』の撮影でも経験した。
湖に降りて、ピンポイントに映り込む場所を求めうろつく。
稜線に戻り談笑していると、突如FUJIフイルムのカメラを持っている外人が、「僕は日本語が喋れるアメリカ人のデビットです」と言う。聞いてみると米国ダラス出身。名古屋在住で、17年間小学生に英語を教えているとの事。話が合い、打ち解ける。
下山時、トレッキングの必需品、ストックをどこかに忘れていることがわかり、探す。時間がかかりそうなので、クマちゃんに先に下山してもらう。昨日から、クマちゃんと気持ちのすれ違いの上に忘れ物事件。ストックも見つかり、やれやれで下山。
デビッドが撮った写真を見せてもらったら、僕が撮りたい素晴らしい写真が沢山ある。夕方、彼をテント場入り口で待つも、会えなくてがっかり。
翌日、夜中から登り、デビッドが撮影した場所で湖の映り込みにトライしたいと思うが、時間制約があるので無理との結論で寝る。
12月21日(金)
ポインセノット・キャンプ場からカンバネント・アゴスティーニ・キャンプ場。
朝からクマちゃん怒りまくる。やはり山屋との撮影(粘り)は無理だと。この旅はクマちゃんが尽力してくれたので、彼に従う。出来たら、もう一度トライすることに決める。
テントを撤収し、憧れであったフィッツ・ロイを背にしながら、綺麗な樹林帯を歩き、チャルテンとの分岐点に到着する。多くのトレッカーが休んでいるここでも、日本では考えられない位の肥満のご夫婦が何組もいる。なにか人生の考え方が違うようだと。
1時間半くらいで、アゴスティーニ・キャンプ場に着。
テント設置後、飲料水の確保のため、他のテントを訪ね教えてもらう。水場はなかなかわかりにくい場所にあった。隣に東洋人4人がテントを張っており、挨拶に行くと、日本人家族であることが分かり、久しぶりの日本語。家族は、僕たちよりダブル・トレッキング - しかもバックパックで。
明日の撮影の下見にマエストリ展望台からグランデ氷河を見に行く。そこで、兵役明けのイスラエル人(コンピューター技師)、アルゼンチン人の写真を撮る。
氷河の斜め右上のフィッツ・ロイ。明日が楽しみ。
下山を始めると、見覚えのあるイチャイチャ・アミーゴ・カップル。こんな所でまた再会。それも夜に近い夕方。エル・チャルテン ピストン。これも日本人では考えられない大らかさと歩くスタミナ。
その夜は雨。
12月22日(土)
アゴスティーニ・キャンプ場からエル・チャルテン。
朝から風も強く小雨。ゆっくりして山の様子を見に行くがガスで何も見えない。
当初は8時間歩き、ラグナ・トロ・キャンプ場に行く予定であったが、渡渉が不可能のため中止。知らない土地では安全第一のルートを選ぶ。すごく勉強になる。
エル・チャルテンまで3時間半くらいではあるが、なかなかたどり着かない。やっと、丘の上からエル・チャルテンの町を見た時のうれしさ。クマちゃんが来るのを、ゆっくりした気持ちで待つ。
今回の反省。日本での縦走は1泊か2泊。長くても3泊。すぐに山小屋、コンビニ、他のトレッカーから食料調達、何でも揃う中での縦走。荷物を軽くするために、アルファ米、ラーメン等の炭水化物で、タンパク質、ビタミン類はそんなに気にしない。今回の様に長期の6泊、なにか力が出ず、タンパク質の必要性に気付く。
デビットからタンパク質なしで歩いたら駄目よ、との駄目出し。クマちゃんと彼のテントを訪れると、レトルトのカレー、ビーフシチュー等が積み上げられていたけれど、プレゼントしてくれない。運ぶのに体力を使い果たして寝込んだそうである。
日本の家族連れに物乞いをするも、プレゼントなし。皆ぎりぎりの食料。指導員のクマちゃんがいても気がつかなかった。
エル・チャルテンでデビットから教えられた食料品店を探すが、見つからない。アルベルゲ・ランチョグランデで、肉の盛り合わせ、ポテト、ピザ、ビール2杯、ワイン。とにかく美味いが食べきれない。
クマちゃんから「70歳でそんなに食べられるか!」と呆れられる。写真自慢のおじさんに、また来るからと言うが、ノリがもう一つ。
預けていた荷物を持って隣のホテルに移動。部屋は2階の屋根裏部屋。早速、洗濯。風が強いので乾くであろう。
いっぷく後、町に土産物(ここでしか買えないTシャツ)を、買いに出る。
12月23日(日)
エル・チャルテンからエル・カラファテ。
朝5時起床。朝食後、バス停。
エル・カラファテのホテル(バス停と町との良い位置関係)にチェックイン後、町に出て翌日のウプサラ氷河ツワーを申し込む。あと、アルヘンティーノ湖散策(フラミンゴ)。
夕食は前回行った寿司屋さん。今回はなぜか美味しくなかった。
明日24日はクリスマス・イブ。
行きたかったミートレストランは予約で満席。他3店舗も断られる。最後に行ったレストランはOK。お土産を物色するも高い。はじめてスーパーマーケットで果物、水をカード払い(クマちゃんから教えてもらう)。マーケットで驚いたのは入り口にドッグフードの大袋の山。犬は大事にされている町。
12月24日(月)
朝9時、ツアーバスが迎えに来てくれて船着き場まで行く。
船の座席は中国人5人の中にはいる。話しかけても、ぎこちなかったが、写真の写し方を教えたり、写したりすると「先生、先生」と呼ばれる。仲良くなって氷河オンザロックやおつまみをプレゼントされる。和気あいあい。他にブラジル在住の日本人ツアー客とも仲良しに。
ツアー後、一緒に町中を散策してお互い楽しい。
夕方、予約を入れていたステーキハウスで肉盛り、ビールとワインを。
今日はクリスマス・イブ。 - 良いレストランで過ごせて、大満足。
12月25日(火)
エル・カラファテ(アルゼンチン)から、プエルト・ナタレス(チリ)。
出国は簡単。入国は複雑。特に農産物(日本でも)の入国は厳しくチェックされる。検問は前回と違う所で受ける。
無事プエルト・ナタレスに入りバス停に着く。
そこから歩いて15分くらいのところにホテル。チェックイン後、町に出るが、クリスマス・イブのため休業。やっと薬屋、果物屋を探し出すが、両替屋は見つからない。違う食料品店で空いている両替屋を教えてもらうが見つからない。そこで焼き肉レストランのこわもてのお兄さんに聞くと、親切に外まで出てきてくれて教えてくれる。
行ってみるとあった。次は、明日からのキャンプ場の確認と、イタリアーノ・キャンプ場の予約を入れる。やっと一息ついたところで夕食。クマちゃんと予約したレストランをキャンセル、親切に両替屋を教えてくれたステーキレストランでとる。
お客さんでいっぱいの繁盛店。先ほどのお礼を言って注文。びっくりするぐらいの大盛。
ビールもワインも美味い。
12月26日(水)
プエルト・ナタレスからアマルガ公園内ラス・トーレス・キャンプ場。
荷物を整理し預けチェックアウト(6時半) - プエルト・ナタレス・バス・ターミナル - アマルガ公園へ。
公園内のビデオレッスンを受けた後、バスに乗りパイネ国立公園入口(9時半)。乗れなかったら1時間半歩く覚悟であったが、もっと距離があった。ほっとである。
ラス・トーレス・キャンプ場入り口で、またもパスポートチェック(厳しい)。キャンプ場では売店、炊事場、シャワー室等完備。クマちゃんチェックイン手続き中にテント場を探す。
山岳会で後輩にやらせていたツケがきた。平らで風よけがあり、木陰のテント場があり、ほっとする。
食事後、昼寝のつもりが、熱いテントの中でお互い本気で寝る。
7時出発でチレーノ・キャンプ場経由で、展望台を目指す。
途中、国立公園レンジャーに出会う。
「行動時間外なので、テントに帰れ」と命令される。
いろいろ抵抗するも、ここは日本ではない。チリだ。いやなら出て行きなさい。
テントに帰りまた寝る。
12月27日(木)
ラス・トーレス・キャンプ場から、チレーノ・キャンプ場経由ミラドールをピストン。
3時半起床、4時朝食、4時45分出発 - 6時35分チレーノ・キャンプ場 - 9時ミラドール - 撮影。
ガスがかかり、雨、みぞれ、周りは雷が鳴るような真っ暗な景色の中で寸暇の青空、光が入る。シャッターチャンス。
チレーノ・キャンプ場で、コーラをクマちゃんと飲む。やっぱり美味い。
14時半に、ラス・トーレス・キャンプ場に戻る。
12月28日(金)
ラス・トーレス・キャンプ場から、ロスクエルノス・キャンプ場経由、フランシス・キャンプ場へ。
6時起床。朝から雨。雨で翌日に9時間歩くつもりでいたが11時半に出発。16時半にロスクエルノス・キャンプ場でコーラを飲み、18時にフランシス・キャンプ場着。
テント場は森の中にあり、板のパネル張りなので、土地の傾斜やでこぼこを気にせずテントを張れる。温水シャワー、売店での冷えたビール。のんびりゆったり満足しながらの夕食。7時間歩いておいて良かった。
12月29日(土)
フランシス・キャンプ場から、イタリアーノ・キャンプ経由、パイネグランデ・キャンプ場。
朝、シャワー室の前でアゴスティニー・キャンプ場でテントが隣り合わせであったオールルートの日本人家族と偶然に会う。クマちゃん道間違えて15分ロス。
10時30分出発。11時にイタリアーノ・キャンプ場着。そこからクマちゃんはフランシス展望台に。僕は周辺の撮影。
12時50分に合流し、パイネグランデ・キャンプ場を目指す。2時間半の下りのみの行程と思いきや結構登りあり苦戦。撮影ポイントが多くあるが、ここも強風。
16時半にテント場に着。チェックイン後テント設営。
売店、食事の大きな食堂、シャワー室等が完備。シャワーは初めの3人目くらいまでは水状態で震え上がって、僕の番には温水。
あとビールを2本満喫。ラーメンと山菜ごはんを食べ、明日の朝食無し。テント場は各国の音楽とおしゃべりでうるさいくらい賑やか。
寝る頃、テントがめくり上がるくらいの強風が吹きまくる。
12月30日(日)
パイネグランデ・キャンプ場 - プデート(船) - プエルト・ナタレス(バス)。
船着き場で家族連れと仲良くなり、湖に飛び石で遊ぶ。
船着き場を目指す。
途中、3月に泊まったホテル、隣の湖と繋がっている滝など、見る位置が変わると景色が変わる。バスは予約時間より1時間早く乗車。
ホテルにチェックイン後、町を散策に。昼食はあのステーキハウス。クマちゃんはサンドイッチ。僕はビールとワイン。
夜も予約を入れ、スーパーマーケットでいつものとおりオレンジ、リンゴ、バナナを買い、夕食の肉屋に戻る。
注文は肉盛りとサーモンサラダを注文。ビール3本。ワインを飲みながら、こわもてのおじさんの美人奥さんと談笑するも、なかなか注文品が来ない。
確認すると、兄ちゃんスタッフが通していなかった。それでも機嫌よく店を出る。鼻の痛みはだいぶ薄らぐ。
ホテルにチェックイン後、洗濯、荷物整理。
町を散策。夕食はいつものステーキレストラン。注文は肉盛りにビールとワイン。
12月31日(月)
プエルト・ナタレスから、プンタ・アレーナス。
8時チェックアウトして、8時半発でプンタ・アレーナス11時半着。ホテルはバス停から15分くらい。
チェックイン後、町散策。
クマちゃんが「この建物は前回泊まった高級ホテルだ」と言う。急にお茶だけでも行きたくなる。
明日のペンギン・ツアーの申し込みにツーリストに行く。対応の女性の態度が横柄な事。
マゼラン公園、記念館(休館)、を経て、夜の食事処を探しに行く。
マゼラン海峡の眺望が良い喫茶店でお茶タイム。海岸で仲良くなった子連れのご夫婦に、クマちゃんが一言、「カメハメハ!」。すると店の人も大うけ。僕は、アニメ音痴なのでわからないが、すごい効果。
早速アニメ店に連れて行ってもらうと、なんと題名は日本語、ユニバーサル・スタンダードでびっくりである。あらためて麻生大臣が言っていた「アニメを輸出」という事が分かった。
僕を含めた日本人は「一生懸命に働く。真面目でないと駄目」という教育。この年で考えなければ。
アメリカの繁栄は、映画、飛行機の輸出。今は特許、IT、著作権等 - ただしソフトはハード。
海岸の落書き倉庫街を見ながら、昼食のレストランを探す。お目当ての行列ができるレストランは駄目で、系列の寿司バーに入る。
注文するとすごい量。日本人家族と隣り合わせ。南アメリカ全体を見るSONYのエリアマネージャー。ここでも「カメハメハ!」。
クマちゃんと散策。
クリスマスの午後は日本と違い、さすがに人も車も少ない。坂道を上がりスーパーを探すが休業。
明日はペンギン・ツアー。
2019年1月1日(火)元旦
早朝、迎えのタクシーに乗りペンギンツアーの船着き場に向かうも強風のためツアー中止。チリ海軍の軍人さんが丁寧に対応してくれて助かった。
待たせておいたタクシーで、町に引き返す。
途中、大みそかのカウントダウンで飲みすぎ、はしゃぎ過ぎの若者がうろうろ。帰ってツーリストに抗議に行くも、まだ店は開いていない。
ホテルの朝食は、久しぶりに美味しい。食後ツーリストに抗議。なかなか難航するが、警察に訴えるとクマちゃんが言うとタクシー代を返金される。
気分よくクリスマスの町に繰り出す。スーパーマーケットも空いていて物も豊富。そこでマゼラン海峡の家族連れに会い「カメハメハ!」で挨拶。
大うけ。
町を歩いていると、ストリートパフォーマンス音楽に合わせておじさんがダンスをしている。ここでも船着き場での家族連れと会い「カメハメハ!」挨拶。僕がやるけどうけない。クマちゃんにやり方を教わる。
時間があるので喫茶店に入り、店1番のチョコレート・パフェを堪能。
途中、ウエイターが注文品をひっくり返す。店の雰囲気が悪くなった時、クマちゃんが「カメハメハ!」。一度に店全体が和む。
夕食は、前日、断られたレストランで食事。
あのペンギン・ツアー申し込み家族と再会。とにかく同じ方向に旅しているので、再会が嬉しい。
1月2日(水)
プンタアレナス - サンチャゴ。
朝6時起床 - 7時30分朝食 - 7時50分タクシー空港。
空港の手荷物検査は厳格で8kgオーバーで、追加料金3万5千円。普通、それぐらいはパスしてくれるのに、ここは厳格な国チリ。加えるに勘違いしてスイス・アーミーナイフを手持ちバッグに入れていて、プレゼントしてくれたクマちゃんの目の前で没収され、気落ちする。
書類としては、アルゼンチンから、チリ入国時の書類と、パスポート - だんだん要領がわかってきて、スムーズになってきた。
約2時間半のフライト後、サンチャゴ着。空港から30秒のホリデイ・インにチェックイン。
ホテルでゆっくりするかと思いきや、15時半にバスに乗り、町に繰り出す。
早速、ホコ天に向かう。クマちゃん曰く、ホコ天がその国の文化を感じるとの事。ブエノスアイレスに比べ、人出は倍以上だが、服装は地味で美人が少ないように思われる。ただ、チリは銅などの鉱物資源、水産物の日本のマスの養殖技術で南米で一番豊かな国。
旧市街のアルマス広場ではマイケル・ジャクソンの大道芸等で観客多し。サンティアゴ大聖堂見学、ベジャビスタ地域に行く。クマちゃんはサン・クリストバルの丘に向かう。僕はベジャビスタの市街をうろうろする。
クマちゃんと合流して夕食に向かう途中、マウンテンバイクが大勢沸いて来るわ来るわ。
夕食は日本料理店の金太郎。スタッフに美人がいて、クマちゃんはご機嫌でラーメンは美味しいと言うが、僕のはぬるくて美味しくない。
帰りは空港バス - ホテルでは爆睡。
旅はイースター島につづく。
撮影者チーム
Team
撮影者:堀口裕央
Photographer : Yasuo Horiguchi
トータルコーディネーター:三宅正弘
Total coordinator : Masahiro Miyake
撮影機材
Photographing Materials
Camera:FUJIFILM GFX 50S
Lens:GF 32-64mm F4
撮影期間
Period
2018年12月14日〜2019年1月2日
2018.12.14 - 2019.1.2