堀口裕央

Yasuo Horiguchi  |  Photographer

南部パタゴニア 3 - 2

Southern Patagonia 3 - 2

三度目のパタゴニア
2019年12月20日~2020年1月13日

フィッツ・ロイ山群のすそ野

ピエドラス・ブランカス氷河を望む

朝焼けのフィッツ・ロイ山群のすそ野

朝焼けのフィッツ・ロイ山群が映る

天とフィッツ・ロイ山群

草原とフィッツ・ロイ山群

アディオス、フィッツ・ロイ山群

プデート船着き場

パオエ湖から見るクエルノス・デル・パイネ

グレイ氷河に行く途中 1

グレイ氷河に行く途中 2 お花畑

グレイ氷河

チレーノキャンプ場への道

トーレス・デル・パイネの夜明け

雲とトーレス・デル・パイネ 岩塔群

ピエドラ・デル・フライレキャンプ場への道 1

ピエドラ・デル・フライレキャンプ場への道 2

穏やかなたたずまい カプリ湖・マドレ湖

セロ・ポワンスノとロス・トレス湖

三度目のパタゴニア

Note

出発日:2019年12月20日(金)・帰着日:2020年1月13日(月)

奇跡の出会い
2018年12月20日、二度目のパタゴニア遠征時の出来事。
フィッツ・ロイの撮影を終えてのんびりしていたところに「僕、日本語がしゃべれます」と話しかけてきたアメリカ人のデビッド。
彼は愛知県在住で17年間、小学生に英語を教えている教師。47歳。趣味は旅行と撮影。
カメラは富士フイルムのXT-2。
僕が日本人で、同じ富士フイルムのGFX 50Sを持っていたので話しかけたという。
5分くらい会話して連絡先を交換した。
日本に帰ってからデビッドに連絡。我が家に招待し、道頓堀、通天閣を案内した。

二度目のパタゴニアは思うような撮影ができなかったが、写真のアドバイスをもらっているA先生に見ていただいたところ「良い写真が沢山撮れてるよ」と言われる。
もう一度パタゴニアを撮ろう!
俄然やる気になってデビッドに「パタゴニアに行かないか?」と連絡を入れる。
僕は英語はもちろん、スペイン語なんて喋れないので一緒でないと行けない。
ネパールの撮影も相棒・ジミーに連れて行ってもらっただけだった。
皆が「見ず知らずのアメリカ人と、お互い富士フイルムのカメラを持っていたというだけで行くのか?」、「怖くないのか?」と言う。
そんなこと僕はまったく気にならない。

三度目のパタゴニアはデビッドと共に。
デビッドに渡航の手配を全部やってもらって、僕はついて行くだけである。

2019年12月20日
デビッドに迷惑をかけないように、はぐれないように、常に行動を共にするために彼のいる名古屋に向かう。
昼過ぎに自宅出発。15時16分のひかりで名古屋着。
名鉄15時43分発 − 中部国際空港 セントレアに16時16分着。
駅から巡回バスで東横インに。

2019年12月21日
朝食後、ホテルのバスで国内線第一ターミルへ。
相棒・デビッドと握手。中部国際空港 セントレア8時20分発 − 成田国際空港9時30分着。
成田国際空港11時50分発 − アメリカ、テキサスのダラスに8時10分着。
機内で証券会社勤務のY氏と同席になり、株式相場の話で盛り上がった。
13時間の長いフライトが楽しい。

2019年12月21日
ダラスの入管手続き。
三度目のESTAなので落ち着いて気楽に無事通過。
昨年は搭乗券にSSSSが印刷(無作為で選ばれたか、FBIの要注意人物に誤って選ばれたか)されていて大変だった。
デビッドは2年半ぶりに両親に会うために待ち合わせ場所のホテルに行く。
ひとりになって待合室に行くために入国手続きをしたものの、次の行き先、アルゼンチン・ブエノスアイレスの搭乗券をデビッドが持ったまま行ってしまったので入場できない。
慌ててデビッドに連絡したが繋がらない。
さぁ、どうしたものか。
ふと階段の方を見るとデビッドが航空券を持って笑いながら手を振っている。助かった。
入場して待合室で16時までのんびりする。
デビッドと今後の打ち合わせを20時55分ブエノスアイレス行のE24搭乗口で行う。
途中、搭乗口に間違いがないか確認をする。
たしか飛行機は満席のはずなのに人がいない。
20時15分。僕が見ると、搭乗口が「A」の間違い! あわててA搭乗口に向かう。
長いエスカレーターを走って登り、シャトル電車に乗って20時40分にA搭乗口に着いたが、すでにクローズ。
アメリカン・エキスプレスは日本の航空会社と違って温情無し。カスタマーアシスタンスに駆け込む。
2時間くらい交渉して明日のキャンセル待ち順位1、2をもらい、空港内で寝る。
待合室の椅子で寝ようとしたが、ひじ掛けが邪魔で眠れない。
カスタマーアシスタンスで無料提供のサンドイッチ、お菓子、水をもらう。

2019年12月22日
フライトは22時50分。
1日中空港にいてもしょうがないので、空港発の列車でダラス市内観光に向かう。
ダラスと言えばケネディ大統領暗殺事件。
アメリカから日本に衛星放送が繋がった1963年11月22日、暗殺というショッキングな報道が入ってきたのを、当時中学2年の僕は、サッカーの西宮市内大会の試合後、お好み焼き屋のテレビで見たのを覚えている。
狙撃現場の教科書倉庫が記念館になっている。
翻訳のイヤホンをもらい、生々しい写真パネルに沿って歩く。
しかし睡魔が襲い椅子に座るとすぐに寝てしまう。
現場の道路に、ケネディが銃撃を受けた場所に×マークが2か所ある。
観光客は信号で車が来ないうちに×マークに立って記念写真。
その後、ダラスで一番高いビルの展望台から、「これがアメリカ!」という景色を見た。
途轍もなく長い貨物列車、すごい車線の高速道路、街を見る。
アメフトで有名なチーム、ダラス・カウボーイのスタジアムは時間がなくて断念。

空港に帰り、あの搭乗口Aに行くと変更があって今日はE搭乗口でキャンセルを待つ。
待ち人は12名。その日は3名のキャンセルが出たのでギリギリセーフ。
デビッドは責任を感じていたが、僕はダラス見物ができてうれしかった。
フライトの席は通路側で圧迫感はない。

2019年12月23日
ブエノスアイレスに10時30分着。
出発前のトラブルで、次の目的地エル・カラファテ行に再度手続きがいるので、バスで国内線飛行場に行く。 予約していた10時の便に乗れなかったので、同じ航空会社に空席があれば無料だが、無ければ別の航空会社のため約4万円必要。
翌日の2便目(13時10分発)に空席があり、ほっとした。
夏休みがはじまり、クリスマス前で世界の観光客が押し寄せてくる時期なのによく取れたものだ。
エル・カラファテで宿泊予定だったが、ブエノスアイレスで宿泊となり、スマホで予約したホテルにタクシーで向かう。
運転手と仲良くなって、今夜の食事処を聞きながらホテルに着。
1年前と違い、宿泊代金の確認を金網越しにスマホでやり取りをする。
不安定な自国通貨でなくドル。カード払いが進んでいる。
ホテルの部屋は広々していて僕はベッド。デビッドは大きなソファーで寝ることに。
明日の荷づくりと洗濯を済ませ、運転手に教えてもらった有名な肉レストランに行く。
有名店に加えてクリスマス前なのですごい人。
予約を入れてサービスのシャンパンを飲みながら待つ。家族連れが多い。
ラッキーなことにすぐに2人席が空いて待つことなく席に着く。
運転手に教えられたメニューを注文。すごい量が出てくる。
アルコールを飲まないデビットがステーキに赤ワイン。
ウェイターと仲よくなって、最終日にもう一度立ち寄ると約束する。
アルゼンチン・タンゴの店を紹介してもらい撮影の許可も頼む。
アルゼンチンと言えばマラドーナ、メッシ、エビータ、アルゼンチン・タンゴ、ガウチェ。
支払い時、デビッドは一品ごとに値段を確認する。
僕が「ええやん」と言うと、「僕はアメリカ人。聞くのがアメリカ人」と言う。
食べきれなかったTボーンステーキをテイクアウトし、冷蔵庫に入れたが翌日忘れる。

2019年12月24日
ブエノスアイレス国内線13時10分発 − エル・カラファテ空港17時着。
空港からエル・カラファテのバスターミナルに行き、17時50分発エル・チャルテン行きの直行バスに乗る。
21時30分着。タクシーで宿泊場所のランチョ・グランデに。
またも無謀にもクリスマス・イブに予約なしでホテルに行く。
恐る恐るフロントにたずねると1部屋空いていた。価格は12,000円(クリスマス価格)。
デビッドに感謝して500gのステーキとコーラをプレゼント。僕はビールと赤ワイン。
前回知り合った写真自慢のおじさんから撮影ポイントの情報を聞こうとしたが、もう店にはいなかった。
デビッドがフロントの女の子(可愛い顔をしているが実はレンジャー)に撮影ポイントを聞いている。
今回はレフヒオ・ロス・トロンコスキャンプ場、グアドラード等、峠は積雪のうえに悪天候のため断念。
前回迷ったショートカットコースは、地図では簡単に見えるが非常に危険で何人も亡くなっているから入らないようにと注意を受ける。
ピエドラス・ブランカス氷河の撮影ポイントは比較的簡単に行けると聞く。

2019年12月25日
朝8時にタクシー(1,500円くらい)を呼んでもらって出発。
まずはトレッキングコースにザックを置き、アタック装備で撮影ポイントを目指す。が迷う。
途中から風雨が強くなり、岩をクライミングして撮影ポイントに着いたが期待外れだったので僕は撮影を中止。
デビッドはクライミングの技術はないが力で登り、危険だが気持ちが先走って撮影を続ける。
下山。藪こぎに入り込んでしまい、スマホのGPSを使ってやっと脱出。
ザック置き場からトレッキング開始。
前回はバテたが、今回は十分に歩荷トレを積んだ。
荷物を軽くして楽に乗り切り、ポインセノットキャンプ場着。テント設営。

2019年12月26日
8時頃起床。
赤く染まるフィッツ・ロイ(3,405m)は早朝3時頃から登りはじめないと間に合わない。
フィッツ・ロイの撮影をやめて、レンジャーの女の子に勧められた撮影ポイントからフィッツ・ロイを狙うことにする。
トレッキングを開始するが日本と違って細かな表示がないので「ここか?」という所から登りはじめる。
デビッドに撮影の仕方を教えてほしいと言われ、
「まずは三脚を立てて丁寧に撮影することだ。」と教授する。

ここから遭難ストーリーがはじまる。
アゴスティニー氷河を上から写し、フィッツ・ロイの撮影のポイントを目指して登っていく。
下山時のことを考えて目印を確認する。
急な登りで二山越え、小さな丘を越えたら、という所で急にガスと強風と雨でホワイト・アウト。
すぐに下山。
危ないので山を周り込みトラバースしながら降りていくが、どうも登ってきた時の景色と違う。
稜線に出て位置確認をしたが、過ちを3度繰り返す。
風雨で足場が滑り、岩自体が外れてなかなか登れない。
やっと出た道にデビッドが待っていてくれてコールを交わした。
助かったと思ったのも束の間、身なりを整えているうちにデビッドを見失った。
また降り口がわからなくなる。目印である石重ねもそこら中にあり、そこでまた上り下りで体力がなくなってくる。
アゴスティニー氷河からの川に平行に沿って下りていくとハイキング道に当たった。助かった。
遭難はネパールのアイランドピーク氷河とで2度目。
待っているデビッドに向かわなくてはいけないが、飲み水がなくなった。
水を汲みに湖まで行き、戻る途中にデビッドと合流。良かったー。
自分だけテントに帰っていたら人間が関係が壊れ、この先の旅は成り立たなかった。
朝9時から12時間歩いているので足が動かない。
やっとのことでテントに帰るも、用心のために掛けた鍵が開かなくて入れない。
しかたないので鍵をつぶして入る。
濡れた衣服を乾かしながら食事。ぜんざいが美味い。

2019年12月27日
朝から風雨が強く、狭いテント内で引き続き服を乾かす。
動く気がしないほど疲れている。
明日のフィッツ・ロイに向け早く寝る。
そこでさらなる災い。
寝ていると足元がガタガタと冷え、次にやたらと寒気がする。
考えるに一日中狭いテント内の生活で軽いエコノミークラス症候群ではないか。
夜中にテントを出て散歩をする。
3時にデビッドが「ホリホリ行こう」と声をかけてくれるが、起きられず4時半出発。
途中、飲み水を忘れたことに気づいて慌てる。
仕方がないので山から滴る水を手で汲んで飲む。遭遇した日本人に2度水をもらった。
ピンクのフィッツ・ロイには10分遅かった。明日は3時に出発すると決める。
その日は風雨の後で素晴らしい風景だっただろう。
残念が先立った日だった。

2019年12月28日・29日
朝3時発。5時前にロス・トレス湖の撮影ポイントに着。
強風なのにフィッツ・ロイ主峰から厚い雲が抜けない。
突如、隣のセロ・ポワンスノ(3,002m)に虹がかかる。山のギザギザ文様とのコントラストが素晴らしい。
デビッドも遅れて到着。
彼はバッテリー充電のためエル・チャルテンに下山するという。
お菓子のオレンジ・グミとオレンジを差し入れてくれた。
なぜかデビッドの後ろにきれいな日本人女性がいる!
テントに帰るとテントにもオレンジの差し入れが置かれている。デビッドは良いやつだ。

2019年12月30日。
朝3時出発。
途中、道を間違え40分もロスする。
何度も原点に戻る。もう少し下がってみたら表示がった。
焦りながら5時過ぎに到着。
撮影場所を確保したが、昨日と同様、雲がフィッツ・ロイにかかっている。
がっかりしていると、突然ガスと雲が晴れピンクのフィッツ・ロイが現れて慌てる。
夢中でシャッターを押す。
すごい。ピンク、赤、金、銀色に変化する主峰と山群。雲と天地が躍るようだ。
昨年は雲ひとつない好天で、綺麗ではあるが躍動感がなく、写真としては面白みに欠けた。
ヒマラヤの作品、『「昇天」神々しい世界(4)』以来の大満足度。
テントに帰ってデータを見直し、やった!と声を上げる。
朝食後、テント周辺を撮影。
夕方、デビッドが昨日のきれいな日本人女性と帰ってきた。
しばらく談笑して、彼女に今晩どうするのかと聞くとデビッドとテントをシェアするという。あ、そうなんや。

2019年12月31日
朝3時半頃、デビッドと日本人女性(通称・チーチャン)がフィッツ・ロイに誘ってくれたが、テント場周辺を撮影するからと言って断る。
5時にテントを出て10時頃に帰り、テントを撤収していると日本人が集まってきて撤収を手伝ってくれた。
ひとりは山に登りたい一心で会社を辞めて来た京都人。もうひとりは、2年半バックパックで世界の秘境をめぐり、このあとアマゾンに行くという。
彼らと別れ、エル・チャルテンを目指して3時間歩く。
ランチョ・グランデに到着。
久しぶりに熱いシャワー。歯を磨き、ビールとワインを各2杯と500gステーキを注文。
先日は軽くたいらげたはずの500gが食べきれない。
食後、佐賀県から来た女性と談話。彼女は夜中から5時間歩き、夜明けの赤・フィッツ・ロイを目指すという。
道を間違うと大変なので登り口に案内した。
部屋で横になっていると、「ホリホリ!」と叫びながらデビッドがご機嫌で帰ってきた。
チーチャンとのことを話し始める。(のろけ話)

今日は大晦日。
メールを見ると日本は元旦でおせち料理の投稿がやたら多い。
18時半にチーチャンがやってきて「お互いに好きになった、どうしよう」と相談を受ける。
僕は疲れているので寝たいのだが、カウント・ダウンという事で寝かせてくれない。1時半に寝る。
デビッドはチーチャンを送り3時頃帰ってきた。

2020年1月1日 新年
ランチョ・グランデを引き払い、本日の宿のアパートメントに引っ越す。16,000円。
デビッドからまた「なぜホリホリは値段を聞かない?」と言われる。
アパートメントは2階建で、家族連れ、仲間連れ仕様で広い。
12時にチーチャンを迎えに行ったが、バスに酔って気分が悪くなったというのでアパートメントで休ませた。
彼女はこのあと、1ヶ月間南米をまわるというのでドライみそ汁等を差し入れた。
僕はオレンジ5個、バナナ、ゆでたまごを思い切り食べる。

2020年1月2日
デビッドはチーチャンを送りにバス停に行く。
僕は本日の宿、ランチョ・グランデのシェア・ルームが取れたので先に行く。
デビッドは、「ランチョ・グランデで『チョコお爺ちゃん・ホリホリ』を知らない人はいないから、英語が喋れなくても大丈夫」という。
ランチョ・グランデのフロント、食堂のウエイターは顔見知り。僕を見るなり手を振ってくれた。
フロントはパソコンを日本語対応にしてくれたり、隣の棟にも案内してくれたりした。
マーケットでオレンジ、バナナ、チョコレート5枚を購入し、フロント、ウエイターに差し入れ。
シェア・ルームにいた木村君というバック・パッカーと話をする。
彼はオーストラリア在住で30カ国ほど回っているとのこと。
夕食は350gのステーキ。
疲れているのか11時〜7時までぐっすり寝たが、寒気がするので9時半まで寝直す。

2020年1月3日
朝から雨。10時にチェックアウト。
雨も上がったのでお土産屋に行き、本日宿泊のホテルに移動。
デビッドとホテルのフロントの女性は、明日のカラファテ行のバスの事で打ち合わせ。
フロントの女性が親身になってバスの手配をしてくれる。お礼にチョコレートをプレゼントすると大喜び。

朝4時にカラファテ直行バスに乗り、7時着の予定が6時半に着。
ラッキーな事に、予定のバス会社以外のバスに空席が3つあってそれに乗車。
アルゼンチンを後にし、チリに入国。
30分早く出発したおかげでプエルトナターレスに予定より3時間早く着。
去年宿泊したホテル・オスタル・アメリカで荷をほどく。ステーキハウス・オストラルで大歓迎を受ける。
ここでもデビッドが注文。サーモンサラダと肉盛りを間違って2人前。
デビッドは大喜び、ここでも肉には赤ワインを注文。食べきれなくてテイクアウト。

2020年1月4日・5日
朝から事件。7時になってもバスが来ない。
2人で「ここはチリだ。日本じゃないから時間にルーズだ」とか文句を言っていたが、実は僕らが1時間の時差を忘れていてバスは行ってしまった後だった。
早速手続きして12時のバスに乗り、プデート船着き場に行く。
パイネ・グランデ・キャンプ場に行く乗船時間まで4時間近くある。
ホテル・ぺオエ周辺を撮影しようとしたがザックを担いで片道1時間、往復2時間のハイクはつらい。
船着き場でザックを預かってもらえないかと交渉するが拒否される。が、お願いしまくって荷物を預かってもらう。
生まれてはじめてヒッチハイクを始める。
デビッドが「ホリホリはお爺ちゃんだから停まってくれるから大丈夫」と言っているうちに1台停まってくれて後ろの荷台に乗せてくれた。
少し走ると2人連れのロシア人ヒッチハイカーも乗せて満員。5分くらいで到着。
帰りのヒッチハイクも「お爺ちゃんだから停まってくれるよ!」とデビッドが言う。
本当に停まってくれて、さっき同乗したロシア人も乗り込む。風雨が強まってきていたので助かる。
どうも両ドライバーは地元の人で、同乗するのはエチケットのようだ。さすが世界を歩いているデビッド。
乗船すると荷物を預かってくれていたのは船長さんで、ここでも話が弾む。
パイネ・グランデ・キャンプ場に着いて入場手続きを済ませる。
テントを張っていると、となりにあのロシア人の2人連れ。
キッチン兼食堂で「中国人の女の子と一緒に食事しよう。ナンパして来い」とデビッドが言う。
昨日食べ残してテイクアウトした肉盛りを取り出すと、各テーブルから「ワオ!」と声が上がって見に来る。
明太子スパゲッティ、ビール、女性もいて華やか。
ただしシャワーは水。

2020年1月6日
朝7時発でグレイ氷河に向かう。
片道5時間。想像以上のアップダウンの連続。
グレイ氷河を撮影していると「ホリホリさん!」と声が。なんと昨日のロシア人ヒッチハイカーの2人。
デビッドと2人は1時間ほど先にある撮影ポイントに。僕は帰る。
チリは規則が厳しくてトレッキングは16時まで。帰りはグレイ氷河を12時半発で15時半着。
テントで温かい味噌汁とぜんざいを食べて一休み。
19時頃「ホリホリさん」とロシア人が呼ぶ。一緒に食事しようと誘われる。
レストランがあいにく満員でデビッドだけ入り、2人は食堂になった。
ボトルワインを持って2人のところに行き、韓国人女性も誘って乾杯。言葉が喋れなくても楽しい。
ロシア人から美味しいブランデーをもらう。そうこうしている内にデビッドも来る。
疲れているので先にテントで休む。

2020年1月7日
9時半発の船に乗り、バスを乗り継いでチレーノ・キャンプ場を目指す。
2時間半の行程を2時間で登った。
テントを設営し、シャワーを浴びる。熱いお湯がたっぷり出てうれしい。
食堂でビーフ・ピザ(大)、ビール2杯、ゆで卵4個、オレンジ2個を食べ豊なひととき。
明日は2時出発。

2020年1月8日
2時20分発。
真暗の中、ミラドール展望台、トーレス・デル・パイネに4時半に着きたい。
急いではいるがデビッドとの差が開いてしまう。
デビッドが「ホリホリのバッグ貸せ。僕が担ぐ。ホリホリは水だけ持て。空身で行け」と言う。
デビッドに思い切り感謝してもしきれない気持ちで歩き、走る。
途中、道を間違えて岩場を登ったりして時間をロスする。すごく急な登りが1時間近く続いた。
やっとのことでミラドール展望台に到着。非常に寒く、雪が降っているが幸いなことに無風。
そうこうしているうちに多くの人が到着。中には寝袋持参で寝ながら夜明けを待つカップルも。
撮影のベスト・ポジションを探す。
突然巨大な岩が落ちてくるアクシデントも。
5時半頃から待ち望んでいた朝焼けが始まる。
デビッドが担いでくれなかったら、この撮影遠征の最大のハイライト、パイネの朝焼けに間に合わなかったかもしれない。
重ねて感謝するもしきれない。
朝焼けが終わり、ポジションを川の方に移す。ちょうど霧と薄雲が出てきてモノクロのすごい景色を撮る。
その後デビッドと2人の記念撮影を撮りまくる。富士フイルムカメラかまえて。
下りは僕がデビッドの荷物を担いで降りる。それくらいしないと気持ちが萎える。
途中、途切れないほど人が登ってくる。出会った日本人は女性ひとりだけ。
キャンプ場に戻り、食堂で撮影に持って行って冷たくなってしまったピザをオーブンで焼き直してもらった。
テラスで太陽を浴びながらビールを飲んでいると、後ろから「ホリホリさん」と聞きなれたロシア人の声。
彼らはグレイ氷河を往復し、パイネ・グランデ・キャンプ場 - ラス・トーレスキャンプ場 - そして朝からトーレス・デル・パイネを登ってきたという。
普通なら2、3泊の行程である。すごい。
ビールをピッチャーで差し入れして友好を深める。
ロシア人が下山するとメキシコ人親子が。次から次とゲストが座る。またビールとワインを飲み直し。ドイツ人女性も入って盛り上がる。
自然とシャワーの話から今晩から暖かなベッド、お酒、料理の話になる。
テントに帰って休んでいるとデビッドも帰ってきて、「皆がホリホリを褒めてるよ」と。

2020年1月9日
8時からテント撤収。
朝食のピザとゆで卵食べていると、昨日のメキシコ人親子が訪ねてきたので気分よくビールを飲む。
10時頃から下山。
道中、カメラを取り出すと「オー、富士GFX100」とオーストリア人が言う。
道端でカメラ談義。彼はオリンパス、ニコン、ハッセル、フィルムで撮っていると自慢する。
今度は日本人のおじいさんで、レンタカーでひとり、車中泊しているという。
そういえば昨日の女性もレンタカー。
デビッドが「おじいさんも女性も、人との会話がないから楽しい顔をしていないよ」と言う。なるほど。
バス停で、またメキシコ人親子と一緒になりビールの差し入れをいただく。
そうこうしているうちに彼らはバスに乗って出発。別れ際に連絡先を書いてもらう。
急に「ホリホリ急いで!」とデビッドの声。あわてて最終便のバスに乗る。
ホテル・オステルス。アメリカで荷造り。チリは荷物検査が厳しい。主荷物は18kg、手荷物は7kgにパッケージ。
お土産を買いに出る。ステーキハウス・オストラルは前回と感じが違ってどこかよそよそしい。
スーパーに寄りオレンジを買う。デビッドはお菓子が大好きでたくさん買い込んでいる。バスに6時間乗ってプンタアレナス飛行場へ。
23時のフライト予定が、日付が変わった午前2時半に。空港内で寝る。

2020年1月10日
3時間のフライトで早朝6時にチリの首都サンチャゴに着。
首都サンチャゴはストライキと暴動が起こっていて危険なので飛行場に留まる。到着後椅子で爆睡。
空港内でステーキとビールを注文。やわらかくて美味しい。
12時半のフライトで、次の行先は世界的に有名なワインの産地、アルゼンチンのメンドーサに。
なんで直にブエノスアイレスに行かないのかと聞くと、「乗り換えると安い」とのこと。
機内でコンカグア(6,960m)に行くというクライマーと同席になる。
彼は3週間の休暇でクライム。アメリカでは2週間の休暇は許されるらしいが3週間は奥さんが鬼になるとのこと。
僕の写真が見たいというので、僕のホームページの画像を見せると「ワオ!素晴らしい」と言ってくれた。
メンドーサ空港に15時着。アイスクリームを食ながら時間を間違えないように、19時発ブエノスアイレス行のフライトを待つ。
ブエノスアイレスに21時着。予約のタクシーに連絡する。
予約していた下町のアパートメントに向かう。デビッドと運転手・ロザリオは明日の予定と運賃交渉をする。
下町のイタリアン。チーズがたっぷりのピザとビール2本。美味しい。しかしタバスコが欲しい。
部屋に入り洗濯をする。特にズボンは搭乗できないくらい汚れすぎ。

2020年1月11日
朝7時に起床。洗濯物はしっかり乾いている。
朝食は昨日のイタリアンでラザニアとコーラを注文。食べきれないのでロザリオにお土産。
12時頃からタクシーで市内観光。有名なサッカーチームのボカジュニアがあるボカ地域に行く。
デビッドは大喜び。土産物屋はマラドーナやメッシの等身大の人形、ポスターであふれている。
カミニートのカラフルな建物。レストランでアルゼンチン・タンゴダンスを踊ってたので撮影すると店からクレームが。
レストランを出て、アイスクリームの有名な店でアイスをバケツ食いする。
その後、デンジャラス・ゾーンと中華街にも足をのばす。
ロザリオは祖国ベネズエラを捨てて移住したという。
僕が小学生の頃、「世界で一番豊かな国はアメリカでなくベネズエラ」と教えられていたのに政治とは怖い。
18時に飛行場に入る。出国時、東洋人に厳しくなっているみたいだ。
20時発でロス・アンゼルスまで11時間。
となりの座席は沖縄出身、ブエノスアイレス在住の家族連れ。
ゆっくりできた。

2020年1月12日
ロス・アンゼルスに7時着。
すごい。審査が厳しすぎるぐらい厳しい。カメラまでザックから取り出される。
昨日と同じ沖縄の家族連れと一緒で気が楽。
13時間のフライトで羽田に15時半着。
羽田から18時10分発の伊丹行きに乗り帰路に着く。

旅終えて。
デビッドに感謝の気持ちでいっぱいだ。
彼は大勢の外国人と同席で食事になったとき、英語がしゃべれない僕でも会話に入れるように気をつかってくれた。
僕に登坂力がないからと言ってザックを担いで力を貸してくれた。
そしてなにより気をつかわない関係。

そのデビッドからの提案。
「次の旅は、アフリカ・キリマンジャロにしよう!」

撮影者

Photographer

堀口裕央

Yasuo Horiguchi

撮影機材

Photographing Materials

Camera:FUJIFILM GFX 100

Lens:GF 32-64mm F4

撮影期間

Period

2019年12月20日〜2020年1月13日

2019.12.20 - 2020.1.13

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