堀口裕央

Yasuo Horiguchi  |  Photographer

南部パタゴニア 4

Southern Patagonia 4

四度目のパタゴニア
2022年12月17日~2023年1月8日

セロトーレとグランデ氷河

岩山フィッツ・ロイ

フィッツ・ロイへの道

ロス・グラシアレス国立公園

ロス・グラシアレス国立公園

ロス・グラシアレス国立公園

プンタ・アレーナス

夜明け前のエル・チャルテン

焼けないフィッツ・ロイ

夜明けのエル・チャルテン

フィッツ・ロイを望む

カレンダーみたいなフィッツ・ロイ

フィッツ・ロイと滝

第4回パタゴニア地域遠征

Note

同行者 相棒デビッド君ー以下D君とする

【日程】
2022年12月17日(日)~2023年1月8日(日)

【工程】
行き
17日名古屋中部・1430ー東京成田・1545
17日日東京成田・1030ードバイ530 
18日ドバイ・840ー空港で寝る840ーブエノスアイレス
19日ブエノスアイレス・555ーエルカルファテ910 
20日エルカルファテ(バス)910ーエルチャルテン1210

帰り
1日エルチャルテン(バス)ーエルカルファテ3日エルカルファテ(バス)230ーチリ国境越えープンタアレーナス
5日プンタアレーナ235ーサンチャゴ555 サンチャゴ930ーブエノスアイレス1130 
  6日ブエノスアイレス1020ードバイ1135
8日ドバイ255-520ーー変更ドバイ355ー関西空港520
関西空港(バス)ー大阪梅田 梅田ー中山観音(阪急電車)ー帰宅(D君泊り)
翌朝解散

2022年12月17日
集合11時30分ーJR名古屋駅銀の時計~中部空港。14時30分発ー成田。15時45着ー成田
20時まで成田。20時30分ーチェックインードバイ出発ーブエノスアイレス名古屋駅、銀の時計に待ち合わせ時間11時30分、D君が来たのは12時15分ー連絡無くイラツクー電車の行先乗り間違い初めから思いやられる。ドバイ行きの飛行機はエミレーツ航空(アラブ首長国連邦)の2階建てのエアバスー初めての航空会社。D君、すごくいい航空会社だからとー確かに客席ー横、高さあり一回り大きく綺麗。映画も日本語版多くエコノミーでもストレスなく過ごす。スチーワーデスさんは皆、きりりと綺麗。ドバイ着ー空港ーまるでアラビアンナイト。
不況の日本。同じ世の中なのかと思うくらいキラビヤカ。やっぱり国力ー貧乏はあかんな、金持でないと。今の日本を憂う。
円安145円。空港でウェーティング、とにかくスマホ充電。

12月18日
ドバイ20時40分ー12時間ーリオデジャネイロ経由(機内待機2時間)ー4時間ブエノスアイレス(空港泊り)ドバイからリオ飛行中ワールドカップ決勝アルゼンチンvフランス、何しろアルゼンチンブエノスアイレス行、考えただけでも大変なのに実際、想像を絶する応援。若干のフランス応援団は時折の歓声。機長からお祝いのメッセージもありルンルン。
フランス、同乗のブラジル人はやっぱり寂しそう。リオデジャネイロで機内待機のまま清掃。ブエノスアイレスまで計18時間。さすがに疲れた。真夏で空港は暑い。国際、国内線が一体化され便利。以前は、場所が違いタクシー移動。
空港で東洋人、特に日本人は一人もいない。カラファテ行の搭乗まで充電器の横で4時間の仮眠。

12月19日
カラファテまで4時間フライト。空港でエルチャルテン行のバス待ち4時間、エルチャルテンまで3時間爆睡。
着後、宿泊のランチェグランデにザック30kgを40分、けっこう辛い。
楽しみにしていたランチェグランデでの昼食、300gステーキを注文、ところが3分の1は筋と脂身、D君はハンバーグオーダー。付け合せのフライドポテトが冷えてべたべたなのでクレーム。
コロナで経営方針が変わったみたい、以前のように情報収集が出来そうでない雰囲気、写真自慢のおじさんもいない。
宿泊は、系統の隣のホテル、4度目。
D君は荷ほどき後、ミラドーレスで夜中まで撮影頑張る。僕はホテルで休養。

12月20日
他のカメラマンがいないミラドーレスの対岸の岩山からフィッロイを狙おうといばらの急騰を登り撮影地を探す。
D君がカレンダーに使えそうな小森の中からフィッロイが見える撮影地を探し出してくる。
ホテルに帰り、翌21日、D君が早朝4時にタクシを予約ー当初40ドルを15ドルに値切り交渉。
D君、疲れたのか夕食抜きで爆睡。僕もつられ寝で夕食はオレンジ2個とバナナのみ。

12月21日
朝はゆっくりし、昼からレンジャーハウスで撮影場所の情報収集。特にフィッロイと滝、セルトーレ等の撮影ポイントを聞く。
男性のレンジャーは僕たちの説明に飽き飽き。代わりの女性、新米レンジャーは甥っ子が大の日本好きでいろいろ細部にわたりレクチャーしてくれ有難い。夕食はD君推奨のレストランで生ビール&マルゲリータピザー。特に回りの生地の焦げ目ともちもち感、食べたことのない旨さ。D君は相変わらずアメリカの国民食ーハンバーグとポテトフライ。他の客が何を注文しているかと、フランス人がステーキを頼んでいて旨そうなんで次回はステーキに決まり。
帰り店に携帯を忘れるがD君が持っていてくれる。ボケもいいところ。

12月22日
朝から風強く天気悪しのためホテル周辺散策(マーケット、土産物店、レストラン等)。
夕食は昨日のレストランで生ビール&赤ハウスワインと300gステーキ。アルゼンチンといえばステーキ。なのに楽しみにしていたランチェグランデでの裏切りでのがっかり感。前日のフランスが旨そうに食べているのを見て今日こそ。旨い。D君は体調が悪そうでカシスジュースのみ。
これはどこかで見た光景。2021年2回目のパタゴニア遠征時ーレンジャー熊ちゃん63歳と来た時、彼はアルコールを飲ないので肉だけを食べお腹をこわし体調を崩していた。僕はビールにワイン、肉をたらふく食べ、気が付かなかった。
まさか70歳のお爺さんに割り勘負けするとわ思わなかったと。白山別山(2200m)トレキング時、腹が羨ましいと言われたのを思い出し、今度は51歳のアメリカ人。ネパール人の一級山岳ガイドジミー氏曰くーホリホリの強みは高山病無し、お腹を壊さないないとからとよく言われる。

12月23日
朝、4時半に迎えのタクシーでカレンダーポイントへ撮影に向かう。まさか道を間違うはずがないと思いD君に先に行ってと、しかしそのまさかが起こる。どうも景色が違う。どこで間違ったのか大変なことに。大声でD君の名前を叫ぶ、遠くでヘッドライトの光が見え助かる。どこで間違ったかと言うと、登り切り後は1本道を歩くだけのところを少しだけ角度を違え歩いていたら、とんでもないところまで来ていた。
フィッロイー雲が出て良い被写体にならない。明日もあると余裕がまだある。

12月24日
朝、4時45分にタクシ迎えに来る。撮影所に着くころの5時半頃からいい感じで焼けだすが肝心のフィッロイは焼けない。
なんで焼けへんね。前回は毎日のように焼け、焼けるのが当たり前と思っていたが間違いやったと。ホテルに帰り、朝食後ポインセットキャンプ場に荷揚げをする。テント、食料、撮影機材を入れると35キロを超えるので2回、2日に分けて荷揚げする。
キャンプ場に着。人もテントも少なく閑散としている。今回で3回のテント場ーやっぱりコロナで人の行き来がないのを実感する。テントを張りゆっくりしているとD君がやって来た。彼は僕のテントで寝る。テントに食料、備品を置いて山を降りる。登りが3時間半。下りが3時間。歩きは快調。25日、対岸撮影をトライしようとタクシーの予約を入れるが反応がない。なんで、そうかクリスマスは家族で過ごすという当たり前がわからなかった。

日本を発つとき若干のめまい、吐き気があり等、35k近い荷揚げなんて出来るのかなと不安。しかし荷揚げなくして次の展開がないのでエイヤーで歩き出す。歩けたことでだんだん体調のことを気にしなくなっていた。
今夜、久しぶりにゆっくり一人寝、うれしいね。今日も、ピザハウスに食事に行く。ゆっくりビールとワイン、ステーキとタバスコたっぷりのマリゲリータピザー嬉しい。マーケットは明日に行こうとホテルでのんびり。
一人のんびりのはずが、え、夜、D君がホテルに帰ってきた。

12月25日
4時起床。ミラドレス展望台に向かう。道中クリスマスイブディスコからすごい音量と帰る人でパーティ後の寂しさを醸し出している。
空を見ると赤く焼けてきて急ぐがまたもフィッロイは焼けず残念。ホテルに帰り朝食。後、マーケットに買い出しに行くもクリスマスのため閉店。
常食のフルーツを買えず、11時~キャンプ場に向かって歩き出す。D君はお母さんに日常の1時間の電話。文化のちがいーNHKBSの番組クールジャパンでの毎日コールについて日本人は理解できないと、と言うと、外国人から反撃を食らっていた。文化の違いを感じ入る。
待ってられないので先に出発。途中、岩場に多くの人が休憩しているので行ってみると、探していたフィッロイと滝の撮影地。早速撮影、登山客も入り満足。1時間ほどでテン場に着き、ゆっくりしているとD君着。彼の横テントはタイ人夫婦。奥さんは青山学園に留学していて日本語が出来る。
彼らが明日か今日登るかと聞いてくるから登れる今日に登れと。みんな僕にも登ろうと誘われるが疲れていて登る気がしない。でもいいかと登り始めるがやっぱり厳しい登り。頂上で撮影している夫婦が寄ってくる。聞いてみると53歳ブルガリア人のレスキュー隊員だという。なんと富士フイルムGFX100にレンズ3本にはびっくり。5年前のD君との出会いも富士のカメラ。キャノン、ニコン、SONYのカメラなら解るが富士のカメラを持っていることに驚き。それだけで仲良くなり共に旅する仲になるとは。タイ人夫婦と下山。夕食はタイ人夫婦と共にする。彼らは、ご飯を炊いてレトルトのタイ料理。米はJA産米はうまく炊けず芯アリおかいさん。当方はラーメンとクスクス。クスクスは煮るだけなんで失敗なし食べなれると便利。今日の歩数5万歩。今までで最高。

12月26日
タイ夫婦に朝焼けのフィッロイを見に行く早朝3時頃、テントをノックしてと頼みゆっくり寝過ごす。下山した夫婦に次にどこに行くのかと聞くと、町エルチャルテンに帰ると。足元よく見ると夫婦そろって靴底が外れておりテープが巻かれている。(コロナの3年の間に靴ゴムが劣化)。よくそれで歩けるなと感心。
夫婦を見送った後、そうこうしているうちに綺麗なイスラエル姉妹と仲良くなる。エルチャルテンから業者がレンタルテントを持ってきてくれるはずとの事。
え、そんな便利な会社があるのか。しかし、こないし、契約も怪しいのでエルチャテンに帰るという。滝撮影に行くので途中まで同行。明日、帰ってくるならとオレンジとバナナをお願いする。
テン場に帰るとスペイン系の男の人が話しかけてくる。聞いてみると奥さんが鳥取県の大山町出身との事。
もう一人、女性レンジャー(アルゼンチンのブエノスアイレス住まいの)とも仲良くなる。僕もD君ースマホの蓄電がなくなり明日の天気、時間が分からない。レンジャーの友達と夕食の準備をしていると急に突風が吹き荒れ食事をしている場合じゃなくテントに飛び込む。テントが飛びそうでペグの点検。
レンジャーから1本ペグを借り補強。一晩中、テントが半分くらいめくれ上がる体験したことのない暴風。ふと、冬季富士山でテントが飛び、亡くなった片山右京のスタッフのことを思う。

12月27日
早朝、昨日の嵐が嘘のような穏やかな天気。D君は新たな撮影ポイントを探しに入山。
   僕は前回来たピエトロブランカス氷河周辺を再撮影。ポイセノットキャンプ場周辺で昨夜友だちになったスペイン人にドロン撮影の映像を見せてもらった。NHKBSでよく見るが身近で見せてもらい感銘を受ける。
テントに帰るとオレンジ、バナナの袋が置かれていた。まさか来てくれたんやと彼女のテントを探すも見つからづ残念。イスラエル人姉妹はチャーミングでキレイだった。

12月28日
D君と毎日繰り返される今日どうするどこに行く問答。僕は、3年前に遭難しかけた山に行こうと持ち掛ける。天気予報では今日だけ晴天、明日、昼過ぎから天気不順とのことでGO。
アゴスティーニキャンプ場に向かってかって歩き出す。踏み後から登り口をさがしだし急騰を登り樹林帯を抜け山全体が見えるところにでる。
位置を確認。足元はザラバで足をすくわれながら、峰を目指す。1時間かかりやっとたどり着くと、なんと奥にあと3つ峰がある。
元気を出し登る。振り返ると1人登ってくるのが見えたので手を振る。女性で登りがやたら早い、あっという間に追い抜かれはるか彼方に前にいたD君はいつの間にか彼女と行動を共に。一緒に登ろうという約束は何なんだあいつは。また女か。
最終の峰で撮影をおこない水も少なくなってきたので下山する。
思えば前回、一つ目の峰に登る途中に突如、濃霧と強風が吹き慌てて下山するが道を間違えザラ場の往復でいたずらに体力を消耗する。やっとめどがつくところまで下山したところでD君が居て助かったとホットし靴紐を結びなおし顔を上げると彼がいなく、場所がわからない。そこで1年前に来たアゴスティーニキャンプ場の川に並行して下山すれば歩道に当たるのではないかと一か八かで降り始める。途中、ひょっとして帰れないのではと思う。ヒマラヤのアイランドピーク登頂後でも広大な氷河で迷い遭難したなーと。下りていくと道にあたり助かったーと。
とにかく飲み水の確保のため湖で水をくみ、D君のいるであろう場所に引き返す。途中、D君と出会い助かる。
今回は余裕があり大丈夫と思うがまた降り口がわからない。上り下りを繰り返しまたかと。周辺をよく見ると踏み後があり下山、途中のんびりと周辺撮影。テントに帰ってからも河原で日向ぼっこ。
D君のテントを見に行くが帰ってきた形跡がないが時間が早そうなんでテントで寝入る。起きてD君テントに行くが帰った形跡がない。これは大変、明日に町におり遭難届を。時間をおいてもう一度行ってみると帰ってきた形跡。
いつも帰ってきたら相手に報告するのに、彼は帰ってきたときテントに行ったけどホリホリ居なかったからと、河原で日向ぼっこの時みたい。ホットしてゆっくり眠る。
そいえば熊ちゃんにも怒られたな。帰ってきたら連絡をしろと。

12月29日
テントをたたんで、ゆっくり3時間半かけて下山。
これでラーメン、クスクスの生活から解放されるとうれしい。町に着くと早速、マーケットに行きバナナ、オレンジを買い食いする。余ったクスクス、ラーメン、フルグラをホテル従業員にプレゼントしてしまうが、後悔することが起こることになる。
新しいホテルに移り、早速シャワーを浴び体を見ると痩せてしわだらけ。くつろいだ後、評判のピザハウスに行きD君とアルゼンチンビールと赤ワインで乾杯。ピザにはちみつをかける。オイオイタバスコでないのか。しかし美味しい。肉を食べたいがピザだけで。7時からタクシーで念願のハイウエイ(道路の真ん中に座りフィッツ・ロイと撮影。びっくりしたのはすごい強風なのにドロン撮影も成功。帰国したら購入を検討。
4回も来ていると四季を撮りたいと思うようになりタクシー運転手さんに長期滞在アパートを探したいと相談。不動産屋で、ここは国立公園内ででホテルかカラファテか通うしかないと言われ持ち帰り検討。

12月30日
新しいホテル。期待した朝食は相変わらずのチーズとハムだけでがっかり。一泊し休養、洗濯をする。

12月31日
朝食、食堂奥で女性が手を振っているので行ってみると先日、山に登ったあのアラスカの女性であった。
彼女はもう1泊し明日カラファテに移動するという。13時のバスに乗るのにバス停に向かう。カラファテのホテルは次の移動に便利を考えバスターミナルまで7分位、町には10分位のところにとる。ホテルでくつろぎ、町に氷河ツアー参加の申し込みとク夕食に出る。
ツアー会社で申し込みをするがパスポートが必要でホテルに取りに帰る。一人で歩くとやたら遠い。ホテルから戻り途中の閉まっていたマーケットが開いており生卵とD君常食のポテトチップスを買う。ツアー手続きを終え1年の締めくくりをレストランで肉、地ビールとワインを楽しみにしていたのにどの店も予約以外クローズ。しょうがないのでホテルに帰り高い缶ビールを買いポテトチップスとD君のキャンプ残りのピーナツで飲む。ま、これもよしか、教訓ー水、食料をゲットするまで人にプレゼントしたり捨てない。特に海外ではクリスマス、正月は気を付けること。

2023年1月1日
朝食が待ちどうしくて飛んでいくが大好きなフルーツがなくがっかり。しかし、とにかく食べる。
8時にぺりトモレノ氷河ツアーバスが迎えに来る。お客の宿泊ホテルを回り集客。船着き場は風強く波高し。船が波で持ち上げられバウンドして大変。それでも湾に入ると穏やか。
今まで3度のツアーとは違い上陸があり、歩くのがおっくうで気が進まないかったが上陸してみると巨木の森、滝等があり等、見どころ満載で満足ツアー。
帰りのバスはホテルでなくマーケット近くで下車。バスが出た後、またスマホをバスに忘れたことに気が付くが行ってしまった。
サーどうしようホリホリ。船、レストラン、今回のバスと計3回。今回もD君がフォローしていてくれていた。町で土産物を見る。D君、売り場の女の子を気に入って出てこない、スマホの件もあり待つ。
イタリアンレストランでピザ、ビール、ワインでD君と一日遅れの乾杯。
そうこうしていると1日遅れでアラスカ女性が来る。邪魔なのでホテルに戻る。D君がいやに早く気落ちして帰ってくる。どうもコテンパンにやられたみたい。
彼女はアラスカで花屋のオーナー経営者。D君とは気骨が違う。D君は、アメリカ人であるが24年も日本で生活して中身は日本ナイズされた51歳おじちゃん。中国、韓国の人は英語が堪能で気持ちも強い。今の日本はアメリカ人にとって楽園。治安が良く外人に親切、食べ物、外食安くて、美味しく円安、英語が苦手。日本だから生きていける。今、彼は言う。
アメリカに帰っても見合う仕事がない。
夜中の2時半出発のためバックパック。出発までホテルロビーで仮眠。

1月2日
もう少しで寝過ごすところ10分位歩いてバス停に。もう大勢の人が来ていた。バスの座席は外人用の大型寝台リクラインベットですぐに爆睡。気が付くと日が上がっており乗り換えのバス停。そこで3時間待ち。次のバスも大型リクライニング。
アルゼンチンからチリの国境越え。農産物は検閲で没収破棄されるのでオレンジ、ビールを慌ててほうばり飲み干す。生卵は廃棄。
通関は多くの人で3時間近くかかり、プントアレーナス着は1時予定が4時近くになる。バスターミナルから宿泊のアパートに。ホテル料理に飽きてきたのでアパートに。10分位歩き探し出す。早速、シャワーと大きなベットを確認後、マーケットで買い出しをする。買い物は、卵、バナナオレンジいつもと同じ。D君、オムレツと意気込むが結局は12個ゆで卵をほうばる。
落ち着いてから、今回で4回目のプンタアレーナスの町散策に行く。D君は海岸線での撮影に気に入った様子でご機嫌。夜は大きなベットでぐっすり。朝食後、新しいホテルに向かう。

1月3日
新しいホテルを徒歩で30分探しながら。チェックインし朝食を食べる。好物のオレンジ、バナナと持参のゆでたまご等久しぶりの充実朝食。しかもウエイターの女の子が日本語を話す。
聞くと日本の女性お客さんと仲良くなり彼女から日本語を教えて貰っているとのこと。なぜ日本なのと聞くと日本のアニメ大好きとの事(千と千尋の神隠し、ワンピース等)。
昔、麻生大蔵大臣が今後、日本はアニメに力を入れていくなんて言うので、アホカこいつは。日本は工業立国やろうと思っていた自分がアホで前回のパタゴニア遠征時でアニメの力を実感する。今回も日本に憧れる女の子がいた。
プントアレーナはチリワインの積出港、マゼランの上陸地でいい感じの街。昼ご飯は前回も行った有名レストランで地ビールとハウス赤ワインでD君と旅を乾杯する。久しぶりのステーキが旨い。D君に帰り道でやたら旨いアイスクリームをおごってもらう。
帰国に向かいバックパック。いつの間にか寝込んでいた。

1月4日
朝から小雨。朝食後晴れてきたので日本大好き女の子に推薦撮影ポイントを教えて貰う。
行って見てびっくり、巨大な墓地、お墓のアパート。これは隣の国アルゼンチンのブエノスアイレスにもあった。
海岸に撮影に向かう。海に豪華客船が停泊していて今までにはない景色。ホテルに帰り荷造りをし日本大好き女の子に挨拶。
11時タクシーで空港に向かう。プンタアレーナス2時35分~サンチャーゴ(チリ)6時間フライトー3時間ウエイティング。
ブエノスアイレス。いつもはサンチャーゴで町散策しホテルホリデイインで泊りとバイキングで栄養補給していた。
今回は新しく増設された国際線でマクドナルドセット3300円とアイスクリームを食べる。噂に聞いていたけど円安で価格にビックリ。
ブエノスアイレス国際線着。待合室では皆、スマホ充電場所でごろ寝。食事は2回目のマクドナルド。世界中にあり衛生的に一番安全そうなので。
実をいうと前回、レストランでステーキを食べるも美味しくなかった。
航空会社はエミレーツ航空ー残念ながらエアバスでないらしい。D君に言って窓側に席にしてもらう。来る時と同じでリオ、ドバイまでは17時間、つらい。
ドバイ着で掲示板を見ていると成田の下1時間後に大阪とあるのを見つけエミレーツ航空の受付にいき変更を申し出る。
格安チケットなので変更無理かなと思いつつ、意外やOK。これは超ラッキー。変更がない場合ー成田に5時着、着後コロナ検査、税関等空港を出るのに2時間、成田から新幹線に乗るのに東京駅。新幹線で新大阪ー自宅ー今日中に着くかな。
変更後、関空でバスで梅田ー自宅ー3時間でお風呂。関空につくとバックがまだドバイ。でも翌日自宅配達で楽。
D君も同様で我が家で1泊、翌日、名古屋帰り。

旅を終えて。
看病疲れでめまい、吐き気で疲れ果て居て療養しようと思うが身近にいては気になり治療しようがないので、一か八かのエイヤーで行くと決める。
再発不安から3、4日は体調悪し、そのうちに忘れてきている自分がいた。テント、食料、カメラ、器材で35kgを担いで歩けないので、年相応に17kg×2回、2日に分けて担ぐ。撮影は4回目で課題を決め時間をかけて行うがなかなか思うようには撮れない。初期の感動とともに撮ったいた時の方が良かったのかな。
また、初心に帰る必要があると反省。ブエノスアイレス空港で機内を出るときD君がホリサン、パイロット、スチュワーデスさんがが久しぶりと言っているよと。ホントかよと見るとホントに言っている。こんな嬉しいこと事があるんやとビックリ。 今回も色々あった撮影旅であった。

撮影者

Photographer

堀口裕央

Yasuo Horiguchi

撮影機材

Photographing Materials

Camera:FUJIFILM GFX 100

Lens:GF 32-64mm F4

撮影期間

Period

2022年12月17日~2023年1月8日

2022.12.17 - 2023.1.8

当サイトに掲載されている写真の無断使用、無断転載は固くお断りします。
写真に関する著作権は、日本の写真に関する著作権法並びに国際条約により保護されています。

Contact : jhorihori209★gmail.com

★=@

Copyright by Yasuo Horiguchi. All rights reserved.